42021年9月に再上場を果たし、早いもので3年が経過しました。経営者として、私は事業の成長を推進し、企業としての根源的な価値を高めることに全力を注いでいます。これからお伝えすることは、株主・投資家の皆さまにとって、シンプレクスグループの将来の見通しを独自にご評価いただくための、コンテクストになるものと考えています。 初めての統合報告書におけるCEOメッセージでは、これまでの歩みを振り返るとともに、シンプレクスグループとして目指す姿についてお伝えします。私たちの企業としての本質的な存在意義を少しでも感じていただければ幸いです。シンプレクスグループの挑戦の歴史シンプレクスグループの原点シンプレクスグループは、テックファームであるシンプレクスとコンサルファームであるクロスピアを両輪として、顧客企業のDXを一気通貫で支援しています。中心となるコンピタンスは、テクノロジー、コンサルティング、そして金融の3つです。私はこれらのスキルをサラリーマン時代に学びました。大学を卒業して入社したのは、アーサー・アンダーセン(現アクセンチュア)でした。その後、トレーディングツールを開発するシリコンバレーのスタートアップに参画し、金融の面白さに目覚めました。そして、当時世界最強の投資銀行と称されたソロモン・ブラザーズ・アジア証券(現シティグループ証券)に転職を果たします。この3社での経験が、シンプレクスグループの核となっていることは間違いありません。CEOメッセージ最高のチームで付加価値を創造しイノベーションを創出するこれらの外資系企業で働いて感じたのは、日本チームのポテンシャルの高さです。米国本社勤務も経験するなかで、日本のチームであっても、ニューヨークやロンドン、シリコンバレーで活躍する金融やITのプロフェッショナル達と十分に競争できるという自信を深めました。しかし、グローバルな評価では、国としての日本は金融もITも二流であると揶揄されていました。その原因を突き詰めると、最終的には日本特有の企業経営や業界構造に行き着きます。それならば、自ら起業して企業経営を行うことで、日本の金融業界やIT業界にインパクトを与えられる最高のチームを作ろうと決意しました。そして最終的には、日本から世界にイノベーションを発信したい。このような決意と信念のもとで1997年9月に起業したのがシンプレクスです。金子 英樹代表取締役社長CEO第一創業期と上場1997年の起業以降、業界の常識を覆すビジネスモデルによって、他のIT企業とは異なる尖った戦略で成長を重ねることができました。順調な成長の背景には、金融工学を理解したうえでトレーディングシステムを提案し構築できる企業が、日本国内にほとんど存在しなかったことが挙げられます。シンプレクスはニッチな分野でトップを取ることができ、セールス部隊を組織することなく、大手金融機関のほとんどを顧客として獲得しました。セールス部隊を必要としなかった代わりに、プロジェクトマネージャーがユーザーと直接対峙し、彼らに刺さるソリューションを提供しました。このような事業活動の結果、2002年2月にJASDAQ市場、2005年9月に東証一部に上場を果たすなど、力強い成長を遂げました。
元のページ ../index.html#4